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港屋再現 映画セット



「黒船屋」 Kikyo模写絵

竹久夢二に寄する



(絶版本・桔梗著)



夢二プロフィール

1884年 岡山の造り酒屋の次男に生まれる。1905年 「文章世界」コマ絵一等になり画家として制作活動を始める。1906年 東京日々新聞に挿絵連載。1909年 絵入り小唄集「春の巻」がベストセラー、その後ロマンティックな夢二美人は人気を博し社会風潮まで巻き起こす。1918年夢二の作詞した「宵待草」の歌曲が全国に流行。デザイナー、詩人、小説家としても活躍。1943年 結核にて49歳の生涯となる。


    夢二に寄する     野村桔梗

 竹久夢二。その名前を文字として読むだけでなにやら甘い感傷が呼び起こされ、浮かぶのは哀切に溢れた表情の儚げな美人像。大正浪漫の時代を現実に知らない私たちの世代にも日本人としての共通の古きよき時代の情感やノスタルジーをその美女たちが伝えてくれる、そんな絵が浮かぶのです。

 今回、夢二と同じくおもに女性をモデルに描く画家としての端くれに属する私が、彼のような美人画の大先輩の人生を紐解いて小説化させていただける機会を持てましたのは、幸運という以外の何物でもありません。

 しかし、非力ながら同じ絵を描く人としての自分が、実地的見地でその創作においての苦悩や画壇、モデルとの関係性、社会的立場、精神面など、多くの面で共感をし、理解し、読み取れる部分があったことは自負しています。

 このたびたいへんお世話になりました竹久晋二さんが生前の竹久不二彦氏に直接お聞きになったいくつかのエピソードのひとつに、パパさん(夢二)の一番嫌いな言葉というものがあります。

 それは意外にも「芸術家」という言葉です。

 私が特に好きな夢二の一徹なところでもあります。これほどまでに時代を超越して多くの人から愛され、今や世界のオークション市場でもてはやされる日本の大家として認知されている夢二。しかし、その実、未だ権威的な絵画の世界からは逸脱したままの稀有な存在です。彼は「芸術家」「巨匠」とは呼ばれにくい位置に置かれています。

 本文にもありますが、彼は当時の官尊民卑の時代において、官展であった文展を無視した生き方を貫きました。それが芸術家の証明であり、巨匠への道であったにもかかわらず、金銭的に苦しい時代でさえもそれにすがることなく一貫して世俗的な絵描きの道を進みました。


彼の絵は若いときから商品として需要と人気があり、東京美術学校や白馬会とも深く、彼の周囲には藤島武二をはじめとする芸術家たちが取り巻いていたのですから、あるいはコネクションだけで十分に権威ある画壇の仲間入りをできたはずです。


 美術学校で基礎を学ばなかった自分の絵にコンプレックスを抱き、その裏では海外の有名作家の画集を取り寄せて、個人的にたいへん研究を重ねていたといいます。

 例えば、有名な『黒船屋』の構図は十九世紀の画家キース・ヴァン・ドンゲンの『猫を抱く女』に強くインスパイアされたものでしょう。彼からはかなりの影響を受けているように私は見受けます。その後に描かれた多くの絵にドンゲンの片鱗を垣間見ます。

 そこまで彼が興味を抱いた理由は絵の様式や絵画的な魅力だけではないと思います。それはドンゲンの経歴にあるのではないでしょうか。

  一八七七年に オランダのロッテルダム郊外デルスハーフェンに生まれロッテルダムの美術アカデミーで学んだ彼は、一八九六年に日刊紙のイラスト・レポーターとして働き港の風景や娼婦のデッサンなどをします。一八九七年にはパリの展覧会にはじめて出品をしますが、パリに転居後、絵は売れずに、運送、ペンキ職人の下働きなどを転々とした後、風刺新聞や雑誌『ラシェット・オ・ブール』『ルヴェ・ブランシュ』などの挿絵の仕事をします。その風刺的イメージが、軍隊や教会、資本家などから告発をうけます。

ついには一九0五年にフランスの官展であるサロン・ドートンヌに出品しその後はピカソらと親交を深め、フォービズム運動に参加し、一九二六年にはレジェン・ドヌール勲章を受賞するにいたります。

最初はイラストレーターとして活躍し、港の風俗や下層にいる人間たち、はては娼婦をモデルにし、風刺新聞にコマ絵を描き、それによって告発を受けるという絵描きとしての目線と傾向が酷似していることに、夢二がドンゲンに対して抱いた共感を想像せずにはいられません。

途中、いつしか芸術家として王道を歩むようになったドンゲンは、死後、その画家としての確固たる巨匠の位置づけをされました。一方の夢二は死後、何度も注目され、作品は繰り返し印刷され商品として流通し、生誕百二十年を迎えた現在でもこれほどまでに愛されようと、依然として庶民派画家であり、巨匠と呼ばれはしないこと、ここに違いがありますが、それは夢二本人の選択によるのです。

夢二は多くの優れた後輩も育てました。その中では特に、絵画の歴史上で抽象画のパイオニアとされる恩地孝四郎や前衛絵画のパイオニアとされる東郷青児に影響を与えた人でもあるのです。それでも、夢二本人は、日本絵画の歴史の中では何やら抹殺されたままの画家でいるのが現状です。

 しかし、この状況を当の夢二はどう思っているでしょうか?

彼は決して嘆いてはいない、いや、きっと、これが本望なのではないかと私は思うのです。

 芸術家などとは呼ばないで欲しい。夢二は「竹久夢二の世界」その、この世にただひとつきりの世界の住人であるのだから。

 日本画家の歴史の中に燦然と輝く位置にいるはずなのに、そこから逃げ出してしまうエキセントリックなボヘミアン、それが夢二です。権威を嫌う自由主義の権化です。

 本書は、そんな彼の本質をベースに、彼が絵を描くにおいて何よりも大切にしたこと・・・愛・・・愛こそはすべてであった彼の生き方を文章で描いてみました。

 アカデミズムの頂点であ画家、藤島武二が描いたお葉の肖像画『芳宦iほうけい)』はもちろん文句なしの素晴らしい名画ですが、同じ女性を描いた夢二の絵は単純な線でありながら彼女の心情をも表現し、鑑賞者をその世界に引き入れる何かがあるのです。それが夢二マジックです。

 夢二はきっと、これからもずっと、移り行く時代の時どきに、ふらりと現れては人々を郷愁にいざない、魅了するのだろうと思います。

 彼が愛し描いた夢二美人とともに・・・。